スリー・ビルボード | |
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総合評価 |
第74回ヴェネツィア国際映画祭・脚本賞受賞の「スリー・ビルボード」のあらすじ、感想です。
2018年のアカデミー賞にノミネートされた映画の中で、一番観たいと思ったのが、この「スリー・ビルボード」です。
しかし、内容やレビューを見て、軽い気持ちで鑑賞できる映画ではないと感じ、劇場に行くタイミングを探すうちに、見逃してしまいました。
その点VODは、どんな映画でも自分のペースで観られるのがいいところ。レンタルでようやく鑑賞することができました。
- 予断を許さない展開と結末
- “怒り”の感情が行きつく場所
- 俳優陣の圧巻の演技
この記事の要点まとめ
スリー・ビルボード 基本情報
原題 | Three Billboards Outside Ebbing, Missouri |
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監督 | マーティン・マクドナー |
出演者 | フランシス・マクドーマンド、ウディ・ハレルソン、サム・ロックウェル |
公開時期 | 2018年 |
ジャンル | サスペンス/人間ドラマ |
スリー・ビルボード あらすじ
アメリカ・ミズーリ州の田舎町。ミルドレッド・ヘイズは、道路沿いに設置された3枚のビルボード(広告看板)に、文字広告を出す。
「娘は強姦されて殺された」「まだ犯人はつかまっていない」「なぜなの?ウィロビー署長?」
ミルドレッドは、7か月前に起きた強姦殺人事件の被害者・アンジェラの母親だった。
広告のことを知った地元のエビング警察は、怒りに包まれる。特に人種差別主義者で粗暴な警官・ディクソンは、ミルドレッドに激しい怒りをぶつける。
また、署長のウィロビーは仕事熱心な人格者だったため、町の住人たちはウィロビーを擁護。さらに、息子のロビーでさえもミルドレッドの行動を非難するが、ミルドレッドは意に介さず、決して広告の撤去には応じない。
ある日、ウィロビーはミルドレッドを訪ね、娘を殺された無念に理解を示した上で、自分がガンで余命わずかであることを告白。広告を取り下げてほしいと頼む。
しかし、ミルドレッドは、「署長の病気を知りながら広告を出した」と答えて…。
スリー・ビルボード ツイッターの反応
【スリー・ビルボード 感想】社会派なのかなと思ってたらメチャメチャ個人的な話だった
— 汀こるもの@五位鷺の姫君 (@korumono) March 12, 2018
ずっと気になってた「スリー・ビルボード」鑑賞。
観る側がこうなったら良いのにと思う方向に全然行かない、一筋縄ではいかない映画だった— たまご (@tatamamagogogo) October 22, 2019
スリー・ビルボード、どうしようもない最悪な状況の中で続いてしまう人生とそこに輝く各々の赦しが本当に眩しくて……振り上げた拳を下ろせなかった人々がどうするかみたいな……
— まぐねた (@mag_neta) October 19, 2019
数日前に観た映画『スリー・ビルボード』がめちゃめちゃおもしろくてほんとーうによかったんだけど、内臓に響く衝撃をうけて感想など言えぬ…ってなってた。
人間の良さも悪さも、希望も絶望も、愛も憎悪も全部見えてしまう人間の感情フルコースだった…。観て…!話したい…!
— 桜林 直子(サクちゃん) (@sac_ring) February 23, 2018
スリー・ビルボード 個人的な感想 ⚠︎ネタバレ有り
ストーリーや人物像が想像通りだったのは、最初だけ。
展開の予想はことごとく外れ、翻弄されたあげく、思いも寄らない場所に着地して終わる。「スリー・ビルボード」は、そんな映画でした。
まず、娘を殺された気の毒な母親VS警察という構図は、早々に崩れます。
人種差別と暴力がはびこる地元警察。しかし、広告で名指しされた署長のウィロビーは、住民から慕われる人格者でした。
しかも、ウィロビーは末期ガンで余命わずか。死期が近い人間を挑発するミルドレッドの行動を、誰もが強く非難します。
犯人が捕まらない責任は、署長一人が負うべきか?被害者の遺族は何をしてもいいのか?とはいえ、母親の怒りはどこにぶつければいいのか?答えの出ない問題に、胸が苦しくなりました。
誰にも理解されないミルドレッドは、さらに過激化します。
火をつけられて、焼け落ちた広告看板。警察の人間がやったと考えたミルドレッドは、憎しみを募らせ、警察署に火炎瓶を投げて放火。建物は全焼し、中にいた警官は大やけどを負います。
怒りが次の怒りを呼び、憎しみが増幅されていく負の連鎖に、観ていて頭を抱えたくなりました。
ミルドレッドの行動を見てもわかる通り、この映画は、主人公=正義、対立する人間=悪という単純な見方を、決して許しません。
ストーリーも、観る者が期待する展開とは違う方向へと進みます。
最後まで明確な救いは見つけられず、ミルドレッドのかすかな変化に、怒りが赦しに変わる可能性を感じる程度で、解釈は観客に委ねられます。
気軽な気持ちでは観られない映画だという予想は、やはり当たっていました。
評価の高さに納得する映画である一方、個人的に残念だったのは、外国映画としての”知識の壁”です。
鑑賞中に疑問だった小道具や伏線、演出などについて後で調べてみると、自分が映画で示された情報の少なくない部分を理解していなかったことに気づきました。
例えば、ミズーリ州の政治、宗教的な特性。劇中に出てくる歌の意味。看板と警察署が「燃える」ことの比喩。ウィロビーの自殺を巡る暗示…など、その多くがアメリカ特有の社会事情や宗教にまつわる知識です。
普段はそれほど気にならないのですが、「スリー・ビルボード」の場合は、前提となる知識が、物語の核心にかなり深く関わっているように思います。
自分なりに調べることで、鑑賞後に理解が深まったのは確かなのですが、第一印象としては不完全燃焼な気分だったことは、残念でした。
とはいえ、本作の重要なテーマである人間の普遍的な感情、”怒り”と”赦し”をめぐる問題については、国や言語の壁を超えて、強く心を揺さぶられました。
個人的に残念な点はあったものの、もし周囲の人に聞かれたら、「ぜひ観た方がいい」と答える映画であることは、間違いありません。
スリー・ビルボード を観た人にオススメの作品
「ファーゴ」
1996年のアメリカ映画。本作でミルドレッドを演じたフランシス・マクドーマンドのことを「この人誰!?凄い!」と思った方に。彼女はこの映画で、アカデミー主演女優賞を獲得しています。